教師を目指すLGBT当事者日記

教師を目指すLGBTのTの当事者(FTM)である僕の日記。

僕に足りないのは母性だった

こんにちは、samaです。

最近、母性が足りてないなあと悩んでいます。

FTMでしょ?男に母性なんている?って思うかもしれませんが人と接する上で母性は必要不可欠なんではないかと思っています。

それを強く感じた出来事が2つありました。

 

休み時間に友達が悩みがちに僕に言ってきました。

「授業で学びが無いんだよね~」

ん?こいつやる気あるのか?と腹の中で思いました。

僕にとって授業は学びだらけで楽しくて自分の未熟さを知るのに大変良い機会です。

だから「授業中の先生の発問の仕方とか、この授業は将来先生になったときどう役に立つのか考えながら受けたらいいじゃん」と馬鹿正直に考えて言ってしまったんですね。

友達はとくに何も言わなかったですが後々になって、しまった・・・と思いました。

よく男女の会話であるあるだと思うんですけど女性の悩みについつい男性が真面目に考えてアドバイスやら説教してしまうみたいな事。これを僕はしてしまったんですね。

ここでの良い回答は「そうなんだね。今学びがないだけでだんだん分かってくるかもよ?焦らなくていいんじゃない?」みたいなやわらかい言葉だったんだなと思いました。

 

そしてもう1つの出来事。

テストがこの間ありました。

ちょっと難しい問題があったんですが時間ギリギリねばって解くことができた問題がありました。それもあってちょっと得意げに「テストできた?」なんて友達にききました。

ここが解けなかったと悔しそうに友達は言ってたんですが、その解けなかったところが僕が時間ギリギリで逆転勝利した問題だったもんで、あそこはこうやって解くんだよって教えたんですよね。そうです、また僕はしまった事をやらかしたんです。

友達は悔しそうに、「知ってたけど時間が~!」と弁明していました。熱心に勉強してたのもあってかなり悔しかったんでしょうね。「たとえそこでミスしてもきっと他は大丈夫だよ。勉強頑張ってたじゃん!」こう言えばよかったのに、僕は自尊心と優越感を優先してしまいました。まったくもって母性が足りていません。

 

この2つの出来事から母性の無さを実感しました。トホホ・・・。

僕には、時間を守りなさい、ルールを守りなさいとかいう父性は十分に足りています。けど父性だけでは周りからしたらうるさい頑固親父みたいなもんです。そこには人を許す心、共感する心が備わった母性も必要です。比率としては父性2:母性8くらいの割合でいいくらいだと思います。普段は人を受け入れる心を優先し怒るときにだけ父性。それくらいでいいと思います。ですが、余裕がないとなかなか母性は出てくれません。人のことより僕の話を聞いて!とついついなってしまうのが人間なんじゃないかなって思います。会うたびに自分の話ばっかりしてくるやつとか余裕がないんですよね。自分に自信がないから認めてもらいたくてアピールするけど聞いてる分には全然面白くありません。僕も最近そんな人間になってしまっていたのかなあと今回ばかりは反省しました。

 

他にも男らしくありたいがために頼られたくて格好付けてたんですよね・・・。

頼りがいがあるように見せようとついついアドバイスしたり、ビシっとした雰囲気を出そうとしたり、頭良いアピールしたり。これ、全然マイナスイメージつきますよね。ただのウザイやつです!これでは本当にダメです。

 

もう一度自分を見つめ直して母性を意識したいと思いました!